犬、特に小型犬において最もよく見られる心臓病が、この僧帽弁閉鎖不全症です。
進行性の病気ではありますが、早期発見と適切な治療・ケアによって、愛犬が穏やかに過ごせる期間を長くすることができます。
僧帽弁閉鎖不全症とはどんな病気?
心臓には
・4つの部屋と
・4つの弁
があります。
僧帽弁は、心臓の左側にある
左心房と左心室の間にある弁
ポンプの役割をする左心室が収縮する際に、血液が左心房に逆流しないようにフタをする役割を担っています。
僧帽弁閉鎖不全症は、この僧帽弁が加齢などにより
・厚くなったり
・変形したり
して
左心室が収縮したときに弁が完全に閉じきらなくなる病気です。
これにより、本来全身に送り出されるべき血液の一部が左心房に逆流してしまいます。
この病気の原因の多くは「粘液腫様変性」と呼ばれる弁の組織の変化です。
弁がゼラチン状になり、ゴムのように伸びてしまうことで、ぴったり閉じることができなくなります。
特定の犬種
キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル、チワワ、ミニチュア・ダックスフンド、マルチーズ、シーズー、ポメラニアン、ヨークシャー・テリアなど
に非常に多く見られ、
遺伝的な要因が大きい病気だと考えられています。
なぜこれらの犬種に好発するのか、詳しいメカニズムはまだ研究段階。
ですが、弁を構成するコラーゲンなどの結合組織に異常がある可能性が指摘されています。
僧帽弁閉鎖不全症の症状
病気の進行段階(ステージ)によって症状は大きく異なります。
国際的な分類(ACVIM分類)では
・B1(心雑音はあるが無症状)
・B2(心拡大があるが無症状)
・C(心不全の症状がある)
・D(難治性の心不全)
に分けられます。
●ステージA, B1, B2(無症状期)
この段階では、見た目にはまったく症状がありません。
しかし、動物病院での聴診で「心雑音」が聴取されることで発見されることがほとんどです。
心雑音は、血液が僧帽弁を逆流する際に生じる異常な音です。
ステージB2になると
・X線検査
・心臓超音波検査で
心臓が大きくなっている心拡大が確認されます。
● ステージC(心不全期)
逆流が増え、心臓がポンプ機能を十分に果たせなくなると、様々な症状が現れます。
◇咳
特に興奮時や運動後、夜間から朝方にかけて出やすい、乾いたコンコンという咳が特徴的。
逆流した血液によって左心房が大きくなり、気管を圧迫することが原因の一つと考えられています。
◇息切れ、呼吸が速い・苦しそう
・少しの運動で息切れ
・安静時でも呼吸が速くなる
・お腹を使って呼吸する(努力性呼吸)
などの様子が見られます。
これは肺に水が溜まる「肺水腫」のサインかもしれません。
◇疲れやすい、散歩に行きたがらない
以前より疲れやすくなったり、散歩を嫌がるようになったりします。
◇舌の色が悪い(チアノーゼ)
酸素が十分に体に運ばれず、舌や歯茎が青紫色になることがあります。
これは非常に危険なサインです。
◇失神
血圧の低下や不整脈により、一時的に意識を失うことがあります。
僧帽弁閉鎖不全症を予防するためには?
前述のように、遺伝的な要因が大きいため、病気の発生そのものを予防することは難しいのが現状。
しかし、以下の点に気を付けることで、発症を遅らせたり、進行を緩やかにしたりできる可能性があります。
●早期発見
定期的な健康診断(特に好発犬種は若いうちから)を受け、心雑音がないか確認してもらいましょう。
無症状のうちに発見し、適切な段階から治療を開始することが、病気の進行を遅らせる上で最も重要です。
●体重管理
肥満は心臓に余計な負担をかけます。
適正体重を維持することが大切です。
●歯周病のケア
歯周病と心臓病には関連があると言われます。
歯周病の原因菌が血流に乗って心臓に運ばれ、弁に炎症を起こす可能性があると考えられています。日頃からのデンタルケアが、心臓病予防にも繋がる可能性があります。
●ストレスを減らす
過度なストレスは心臓に負担をかけます。
犬にとって安心できる環境を整え、ストレスを軽減する工夫をしましょう。
僧帽弁閉鎖不全症の治療や処方される薬の例
治療は
・病気のステージ
・個体の状態
によって異なります。
目標は
・症状の緩和
・心臓の負担軽減
・病気の進行抑制
・生活の質の維持
です。
●ステージB1(心雑音のみ)
症状がない場合は、定期的な検査
・半年に一度〜年に一度の聴診
・X線検査
・必要に応じて心臓超音波検査
を行い、病気の進行を観察します。
この段階ではまだ薬物療法を開始しないことが多いですが、食事療法やサプリメントについて相談することもあります。
●ステージB2(心拡大がある無症状期)
心臓の拡大が見られるようになったら、病気の進行を遅らせるために薬物療法を開始することが推奨されています。
◇ピモベンダン
強心作用と血管拡張作用を併せ持つ薬
心臓の収縮力を高め、血管を広げて心臓の負担を軽減します。
無症状の段階から使用することで、心不全の発症を遅らせる効果が科学的に証明されています。
◇ACE阻害薬
血管を収縮させるホルモンの働きを抑え、血管を広げて心臓の負担を軽減します。
腎臓を保護する効果も期待できます。
●ステージC(心不全期)
心不全の症状が現れたら、症状を緩和するための薬が追加されます。
◇利尿薬(フロセミドなど)
体内の余分な水分を排出し、肺水腫を軽減します。
心臓の負担も減らします。
◇ACE阻害薬
引き続き使用します。
◇ピモベンダン
引き続き使用します。
◇その他
不整脈がある場合は抗不整脈薬、血栓予防薬などが使用されることもあります。
●ステージD(難治性心不全)
標準的な治療に反応しにくくなった段階で
・利尿薬の増量や種類の変更
・他の薬の併用など
より強力な治療が行われます。
薬の副作用や食事との兼ね合い
●ピモベンダン
副作用は比較的少ないとされています
まれに
・食欲不振
・嘔吐
・下痢
などが見られることがあります。
食事との兼ね合いとしては、空腹時に投与することで吸収が良くなると言われていますが、消化器症状が出やすい場合は食事と一緒に与えることもあります。
●ACE阻害薬
まれに
・食欲不振
・嘔吐、下痢
・元気消失
が見られることがあります。
また、腎臓病を併発している場合や脱水している場合は、腎臓の数値が悪化することがあります。
定期的な血液検査で腎機能を確認する必要があります。
●利尿薬(フロセミドなど)
体内の水分とともにミネラル(特にカリウム)も排出してしまうため
・脱水
・電解質バランスの異常
を引き起こす可能性があります。
飲水量や尿量が増えます。
長期使用する場合は、腎臓への負担も考慮し、定期的な血液検査が必要です。
カリウムが不足した場合は、カリウム製剤を併用することもあります。
重要な注意点
ここで挙げたのは一般的な例であり、必ず獣医師の指示に従って薬を与えてください。
薬の量や組み合わせは
・個体の状態
・病気のステージ
・他の病気の有無
によって細かく調整されます。
自己判断での増減薬は絶対にしないでください。
僧帽弁閉鎖不全症の食事で気を付ける点・療法食の内容
食事療法は、薬物療法と並んで心臓病の管理に重要な役割を果たします。
●ナトリウム(塩分)制限
ナトリウムは体内の水分を保持する働きがあるため、過剰に摂取すると体液量が増え、心臓に負担をかけます。
心臓病用の療法食は、ナトリウム含有量が制限されています。
●オメガ3脂肪酸(EPA, DHA)の強化
炎症を抑え、不整脈を抑制する効果が期待できます。
魚油などに多く含まれます。
●高品質で消化の良いタンパク質
心筋の維持や筋肉量の維持に必要です。
●特定の栄養素の強化
後述の「僧帽弁閉鎖不全症で強化すべき栄養素」を参照してください。
●療法食
心臓病に対応した療法食が推奨されます。
これらの療法食は、ナトリウムが制限され、心臓の健康をサポートする栄養素(オメガ3脂肪酸、タウリン、L-カルニチンなど)が強化されています。
●適切なカロリー
体重減少を防ぎ、適切な体重を維持するためのカロリー摂取量が必要です。
◆市販の総合栄養食を選ぶ際
ナトリウム含有量を気にされる飼い主さんがいますが、一般的に総合栄養食はナトリウム含有量が極端に高いわけではありません。
しかし、心臓病と診断された場合は、より厳格なナトリウム制限が必要となるため、心臓病用療法食が推奨されます。
療法食以外を与える場合は
・ジャーキー
・人間用の食品など
ナトリウム含有量が高いおやつや食品は絶対に与えないようにしましょう。
成分表示で
・ナトリウム
・食塩相当量
を確認する習慣をつけましょう。
手作り食の場合も、塩分は控えめにし、全体の栄養バランスを崩さないように獣医師やヒッポのごはんと相談してレシピを作成することが非常に重要です。
僧帽弁閉鎖不全症で強化すべき栄養素
●タウリン
心筋の機能維持に不可欠なアミノ酸。
犬は体内でタウリンを合成できますが、心臓病の犬では不足しがちなため、補給が推奨されます。
●L-カルニチン
脂肪酸を心筋に取り込み、エネルギーとして利用するために必要なアミノ酸誘導体です
心筋のエネルギー産生を助けます。
●オメガ3脂肪酸(EPA, DHA)
・炎症抑制
・不整脈抑制
・悪液質(病気による痩せ)
の予防効果が期待できます。
●ビタミンB群
エネルギー代謝に関与し、心臓の働きをサポートします。
利尿薬によって排出されやすくなることもあります。
●抗酸化物質(ビタミンE, C, セレンなど)
炎症や酸化ストレスから心筋細胞を保護します。
●マグネシウム
心筋の収縮や神経伝達に関与し、不整脈予防に役立ちます。
特にタウリンやL-カルニチンは、心臓病の進行に伴って体内で不足しやすくなることが分かっています。
これらの栄養素を食事やサプリメントで補給することで、心筋の機能をサポートし、病気の進行を遅らせる効果が期待できるため、多くの心臓病用療法食に強化配合されています。
僧帽弁閉鎖不全症で控えるべき栄養素
●ナトリウム(塩分)
最も厳しく制限すべき栄養素です。
●過剰な脂肪
過剰な脂肪はカロリーオーバーに繋がり、体重増加を招いて心臓に負担をかけます。
また、消化吸収にも負担をかける可能性があります。
●過剰なリン
腎臓病を併発している場合や、病状が進行している場合は、リンの制限が必要になることがあります。
心臓病と腎臓病は併発しやすい疾患です。
僧帽弁閉鎖不全症の治療費の例
僧帽弁閉鎖不全症の治療は
・病気の進行度や必要な検査
・治療内容
によって大きく異なります。
一般的に、進行するにつれて費用は増加します。
●初期(心雑音のみ、無症状)
* 初診料・再診料: 数千円
* 聴診: 診察料に含まれることが多い
* X線検査: 数千円~1万円
* 心臓超音波検査: 1万円~2万円以上(初期診断や進行評価に重要)
* 血液検査: 数千円~1万円(心臓の数値、腎機能、電解質などを確認)
* 薬代: ステージB2以降で薬物療法が開始される場合、数千円~数万円/月
●中期~後期(症状がある、心不全期)
* 上記の定期検査費用に加え、薬の種類や量が増えるため薬代が増加します。
* 入院費用: 数万円~十数万円(肺水腫などで入院が必要な場合)
* 酸素吸入費用: 入院費用に含まれることが多いですが、別途請求される場合もあります。
* 集中治療が必要な場合、さらに高額になります。
注意点
この病気は生涯にわたる管理が必要となるため、検査費用や薬代が継続的に発生します。
特にステージが進むにつれて薬の種類が増え、費用も増加する傾向があります。
ペット保険に加入している場合は、補償内容を確認し、保険を最大限に活用しましょう。
その他気を付けてあげること、してあげられること
●日々の観察
自宅でできるケアとして、愛犬の様子を注意深く観察することが非常に重要です。
◇咳の回数と質
いつ、どのような時に咳が出やすいか
記録しておくと、獣医師に状態を伝えるのに役立ちます。
◇呼吸状態
・安静時の呼吸数
(1分間に何回呼吸しているか)
・呼吸の仕方
(お腹を使っていないか、口を開けていないか)
を確認しましょう。
正常な安静時呼吸数は一般的に1分間に15〜30回程度ですが、個体差があります。
普段の呼吸数を把握しておくことが大切です。
◇散歩中の様子
・疲れやすくなっていないか
・途中で座り込んだり立ち止まったりしないか
◇舌の色
青紫色になっていないか(チアノーゼ)。
◇食欲、元気
・いつも通り食べられているか
・活動性はどうか
●運動制限
病気のステージに合わせて、適切な運動制限が必要です。
獣医師と相談し、どの程度の運動量・運動強度が良いか指示を受けましょう。
一般的に
・激しい運動や長時間の運動は避け
・短い散歩を複数回行う
などが推奨されます。
●ストレスを減らす
心臓に負担をかけるため
・大きな音
・知らない人、犬との遭遇
など
愛犬が苦手な状況を避けましょう。
●気温・湿度の管理
・暑すぎたり寒すぎたり
・湿度が高すぎたり
する環境は心臓に負担をかけます。
エアコンなどを適切に使用し、快適な温度・湿度を保ちましょう。
特に夏場の散歩は、涼しい時間帯を選び、無理をさせないように注意が必要です。
●体重管理
適正体重を維持することは、心臓への負担を減らすために非常に重要です。
●自宅でのケア
◇心拍数・呼吸数のカウント
落ち着いているときに
・1分間の心拍数
(胸に手を当ててドクドクを感じる)
・呼吸数
(胸やお腹の動き)
をカウントする練習をしておくと、異常を早期に発見できることがあります。
◇家庭用酸素濃縮器
重度の呼吸困難が頻繁に見られる場合など、獣医師の指導のもと、家庭用酸素濃縮器のレンタルや購入を検討することもあります。
しかし、これはあくまで応急処置であり、速やかに動物病院を受診する必要があります。
◇獣医師との密な連携
僧帽弁閉鎖不全症は進行性の病気であり、定期的な検査と獣医師との相談が不可欠です。
些細な変化でも躊躇せず相談し、病状に合わせて治療計画を調整してもらいましょう。
●夜間の咳は
心不全のサインとして重要です。
横になると肺の血流が増え、肺水腫が悪化しやすくなるためです。
もし夜間に咳が増えたり、苦しそうにしている場合は、心不全が進行している可能性が高いと考え、早めに獣医師に相談してください。
また、病状が進行すると
●病気による痩せ(悪液質)
が見られることがあります。
食欲があっても痩せてくる場合は、単に食事量が足りないだけでなく、病気によるエネルギー代謝の変化が関与している可能性があります。
このような場合は、食事内容や栄養補助について獣医師と相談することが重要です。
まとめ
犬の僧帽弁閉鎖不全症は、多くの小型犬が罹患する可能性のある心臓病です。
しかし、早期に発見し、適切な時期から薬物療法や食事療法を開始し、日々の丁寧なケアを行うことで、病気の進行を遅らせ、愛犬が穏やかに、そして質の高い生活を送れる時間を長くすることができます。
病気と診断されても悲観的にならず、かかりつけの獣医師と密に連携を取りながら、愛犬にとって最善のケアを続けていきましょう。
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